浜崎あゆみと三浦綾子

私が大学生のとき(西暦2000年前後)は、浜崎あゆみの絶頂期だったとも言える。

邦楽自体が絶頂期でもあったので、まさにピラミッドの頂点に君臨していた歌姫のひとりだった。もちろん、安室奈美恵宇多田ヒカルのような、ミリオン曲を飛ばす歌姫もいたけれど、あゆも確実にその一角を担っていた。

歌だけでなく、その美貌から雑誌の表紙を次々と飾り、深夜枠とはいえ冠番組まで持っていたのだ。

いやー、あゆ、本当に可愛かった。整いすぎて、お人形のような、という陳腐な表現しかできない位綺麗だった。

 

一方、モラトリアム全開の私の中では三浦綾子が絶頂期だった。

三浦綾子は、クリスチャン作家として有名で、代表作は「氷点」「塩狩峠」など。

塩狩峠」は椎名林檎が愛読書として挙げていて話題になりましたね。

その三浦綾子が自らの半生を書いた自叙伝「道ありき」を皮切りに、手に入ったものは片っ端から読んだ。

 でも調べると、まだ読んでないの沢山あるなあ。読みたいな。

 

さて、こちらのブログ記事を読んで、少し思うところがあった。

fuhouse.hatenablog.com

今日新宿御苑でわたしはしあわせだなあ、と思って、周囲もしあわせなように見えたけれども、それが本当かはわからない。きっとあの瞬間はしあわせだったとして、ふたを開けてみたらそうじゃない、みたいな可能性もなくはない、というかたぶんそういうことはあるだろう。

 

物事は、表面だけ見ててもわからない。

例えばこれ。

インド人代理母の産んだ女児出国できず、日本人夫婦離婚で親権は? 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

ちょっと昔のこの事件、初見でそのまま読んだとしたら、どう思うだろうか。

代理母使ってまで子供欲しがってたのに、離婚ってなんだよ、身勝手な親どもめ、と思わないですか?

しかしこれ、とんでもない裏話があったんですよ。

 

実はこの赤ちゃん、夫が妻のことを無視して暴走し、独断で卵子提供を受け、自分の精子と受精させてインド人の代理母体外受精した結果、産まれた子供だったのだ。

もっと詳しく知りたい方は、下記ブログに読みやすくまとめられている。

ぜろだまBlog: インドでの代理出産の話(1)

ぜろだまBlog: インドでの代理出産の話(2)

ぜろだまBlog: インドの代理出産の話(3)

この事件から、単純な目線でしか物事を見ないという危険性を思い知らされた気がする。

 

浜崎あゆみの「appears」の歌詞にはこうある。

恋人達は とても幸せそうに

手をつないで歩いているからね

まるで全てのことが 上手く

いってるかのように 見えるよね

真実はふたりしか知らない

 

一方、三浦綾子の「道ありき」より、当時の恋人であった前川正と一緒に、北大に肺結核の検診に行った時、大学構内を行き交う人々を眺めながら交わした会話。

「あの人たちは、しあわせね」

 わたしは思わず言った。前川正は少しきっとして答えた。

「その言葉は、訂正を要しますね」

「なぜ?」

「人間は、見たところしあわせそうに見えたとしても、必ずしもしあわせとは言えませんからね。ホラ、ライラックの横を歩いて行くあの看護婦さんは、昨日縁談がこわれたかもわからないし、そのうしろを行くあの学生は、故郷に病気の父親がいて、中途退学を恐れているかもしれないんですよ」

「なるほどね。正さんは想像力がたくましいわ」

「だからね、断定的にあの人たちは幸福だなどと、羨ましがってはいけませんよ。言えることは、いまぼくは、綾ちゃんと二人でこの芝生を歩いているだけで、じゅぶんしあわせだということですよ」

 

私は上記ふたつの文章を(ひとつは歌詞だけれど)ほぼ同時期に知ったわけだが、もちろん、書かれた時代は違うわけだし、あゆが三浦綾子の文章を参考にした可能性もあるけれど、「腐ハウスブログ(id:fuhouse)」の文章を読んでいると、なんとなくだけれど、時代に関係なく、普遍的な考えなのかな、とも思える。

まあ、かと言って、自分の直感に及び腰になるのは良くないし、何事もバランスよく客観的に見ることができるのが一番ですね。結論は自分で下すのだし。

加持さんだってミサトに、

「真実は君と共にある。迷わず進んでくれ」

って言ってるしね。

 

 しかし、最後の前川氏の言葉、真っ直ぐすぎて今ではちょっと恥ずかしく思えちゃうな。敬虔なクリスチャンは皆こんな感じなのか。

もうわたしは、当時の前川氏の年齢を超えたのだ。(前川氏はその数年後、35歳で病没)