腹膜偽粘液腫闘病記

腹膜偽粘液腫という珍しい病気にかかりました。闘病記をはじめます。

3/9

寝ている間に発熱したらしく、寝汗をかいていたが、朝はなんとか起きていられる体調。
昨日と変わらない感じで、割と動けるし食べられる。

とは言え万全ではないのでまったり過ごすことにする。

とうとう夫が夜の食洗機を回さなくなった。
食洗機が来て10日ほど。まぁ予想範囲内だが、あんなにウキウキして触ってたものをしれっと飽きるの早すぎるだろ。

叔母(母の妹)が来週来ることになった。
連絡も来なかったのでこちらからも特に治療状況などは連絡してなかったのだが、心配していた様子で申し訳ない。
こういうとき、実母は心配にかこつけて半ギレで連絡してくるような人間だったので、叔母の穏やかさにホッとする。

母は田房永子さんの「母がしんどい」に出てくるお母さんをマイルドにしたような人格であったので、母と付き合っていた三十数年間は、常に母の台風に巻き込まれないように身を縮めて生きてきた。それでも何かと向こうから茶々を入れてくるので、物心ついてからは当たり障りのないように、母の機嫌を損ねないように接してきた。
それでも母の逆鱗に触れてしまい、数ヶ月家の中で無視されるなんて状況はザラだった。
母が死んで心底ホッとしたのも事実である。

そんな歪な親子関係であったので、私は母のことはまるで理解できず、恐ろしいことに、母は私の全てを理解していると思い込んでいた。
私の場合は結婚によって世帯が別れたため、なんとか母の世界から離れて生きられるようになり、そのきっかけを作ってくれた夫には本当に感謝している。

今の状況で母に金があり、健康的にもピンピンしていたら、張り切って大喜びで泊まり込んで、何かと世話されていただろう。そして、私がいないとやっぱりこの子はダメよね、という思考が強化される。考えるだに恐ろしいことである。

風呂に入り部屋のベッドでなんとなく休んでいると、息子がやってきて、ふたりで楽しみにしている今年発売されるゲームソフトやその他、とりとめのないようなことを話して去ってゆく。そんな時間が嬉しい。